榑 松 三 郎 全仕事 和光市民センター「サンアゼリア」
トップ 作成:2013/03/21 (木) 7:14:15 修正:2013/05/15 (水) 15:24:40各詳細頁へ/P:プログラム保存
埼玉県和光市和光市民文化センター童謡詩劇「うずら」【原作:清水かつら】
No 西暦 年月日 開場/開演 タイトル 演奏者 演奏団体 場所 備考[wikipedia
2013 2013.03.11 19:00 その日を忘れない
チャリテーコンサート
木村かをり他多数 和光市民文化センター
    「サンアゼリア」
和光市
2013 2013.03.10 15:00 仲道郁代&川井郁子
デュオ・コンサート
仲道郁代(Pf)
川井郁子(Pf)
中道郁代
川井郁子
2013 2013.03.09 18:00
13:00
とどけ!和光の願い
民俗芸能でつながろう
山口古津絵(司会) 岩手県大船渡市他6団体
大船渡市
小通鹿踊り
大船渡市
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大石芳野写真集「福島FUKUSHIMA 土と生きる」
・・・・・・・・「祖父母、両親、子や孫たちとずっと暮らしてきた。
かつてはみんなで農作業や家畜の世話をしていた。子は勤め人になっても、一緒に住みながら家族で協力し合った。
何よりも孫たちとの生活には希望が持てた。子どもの声が聞こえなくなってこんな寂しいことはない。
線量が低くなっても孫たちはもう戻らないだろう。
このままあの世に逝ってしまうのかね・・・」と、仮設住宅で会った老夫婦は苦渋の一端をのぞかせた。
人びとが先祖から大切にしてきた心や精神的文化、暮らしに根付いた風習や習慣といった人間にとって結局はそこに帰るしかない根っこであり人生の基本ともいえる大事な宝だ。
国や電力会社、そして電力の消費者である私たちはそれを奪ったのである。
現地の人びとを痛めつける気持ちは、意識的にはなかっただろう。
けれど、脳裏のどこかでは分かっていた。
だから、後ろめたい気持ちもあったように思う。日本中の都会に住む大多数の人たちが、明るいは「文明社会の証」との声に流されて、電力の供給者や供給地のことを深く考えることもな<ムードに酔うようにして40年余りを過ごしてきたのだろう。私もまぎれもなくその一人だ。
・・・・・・・(写真集「福島」のあとがきより)
大石芳野写真集「福島 FUKUSHIMA 土と生きる 藤原書店 

石さんの久しぶりの個展である。
2011年3月11日午後2時46分の地震と大津波は情け容赦なく人々の生命も財産の全ても大洋に浚っていった。
そして、翌日からの福島第一原子力発電所の爆発が原因となった広範囲の放射能汚染が山も、森林も野、畑、田も建物も村落も高い放射能を浴びてしまった。
体調が最悪だった報道カメラマン大石さんは、医者の許可を得て、5月2日取るもの取りあえず福島に向かった。
そして、10月には危険区域の20キロ圏内に入り、手つかずの地域の撮影を開始、それ以後、400日の間、福島−東京の往復で農家の人たちや周辺の津波の現状を撮り続けた。
2013年1月に藤原書店から福島の被災地の状況を撮影した成果が写真集として完成した。
コニカミノルタギャラリの会場に展示されたパネルの1枚1枚にある被災地の状況には、災害当日の悲惨や恐怖がテレビ画面のようにリアルではないものの、撮影時の人々の悲しみや絶望や風景や人以外の動物たちの姿を確実に捉え、そのような中にも明日への希望、生への営みを感じさせる写真集になっている。
世の中には、ごまんと写真集は出されているが、この写真集が訴える力がどれほどのものかは、太鼓を叩く少年少女の力強いばちさばきが聴こえてくるようだし、若い夫婦の間に生まれた赤ちゃんの震災時の不安と希望を出産前と出産後とのワンショットで見る者に安堵を与えほっとさせる。
私の娘と孫も内陸部に居住していたので津波の惨禍には合わなかったものの、放射能を恐れて長期間家に閉じこもったままだった。
娘の夫が勤める会社も地震の影響で巨大なパン工場の壁は落ちベルトコンベアーも壊滅状態だったという。しかし、社長の陣頭指揮で即日社長以下関係者が現地入りし、10日間で建物やベルトコンベアーを再生し被災を被った人々にパンを届けたと言う。
大石さんの400日間のこの記録から私たちは、何を考え、どうすれば良いか、チェルノブイリの原子力発電所の放射能災害は、26年を経過した今になって次世代の子供たちに癌や血液異常を引き起こし、この地でも撮影を継続し警鐘を鳴らし続けている大石さんの作品群をも私たち老若男女全ての人々に見ていただき、未来に禍根を残さない環境、国にして欲しいし、世界の人々にも日本が原爆投下の唯一の国であり、多くの人が放射能により苦しみ人生を奪われたことを忘れてはならないということを知り続けて欲しいのである。(早崎日出太)

  あの20日ばかり前の東北地震災害があったのに、今年も桜の木々が「大地が動いているけど、ぼくたちが咲かないとみなさんの不安が高まるのでは」、横浜郊外のソメイヨシノが青空に映えていた、何事も無かったように。
 TVが引切り無しに「がんばれがんばれ」と叫んでいた。東京空襲を思い出していた。大阪も、名古屋も、東京も焼き尽くされた。戦争も災害も先代の残した教訓を生かさない限り、又何年後に同じ事が起こる。戦争では、多くの若者が消えた、多くの文化も消えた。半世紀の間、大石芳野は、教訓を積み上げるために世界の惨状を記録してきた。そして人々の密やかな笑みの中に見つけた、再生のエネルギーを後世に伝える為に。(2011年4月19日・早崎日出太)